敵をつくれない者は、味方も作れない。
by.アルフレッド・テニスン.1809.8.6生
[英・詩人]
(画像:Wikipediaより、右は彼の詩集)
成長する上で、「敵」の存在は必要です。
それ以上に「味方」も必要です。
「敵を作るな!」
と、年配の先輩方は言います。
心理学者アドラーに関連する本で、
「嫌われる勇気」が必要だと言います。
世界的コンサルタント、コヴィー氏の「7つの習慣」には、
「意見が違う人がいることを喜ぶべき」としています。
ある調査の結果では、
人の好き嫌いの割合というのが、
好きも嫌いも約1〜2名ずつ、他はどちらでもない、
ということです。
さて、ここでの課題は、
「敵」と「味方」 という概念です。
「好き」だから「味方」?
「嫌い」だから「敵」?
「意見や価値観が一緒」だから「味方」?
「意見や価値観が違う」から「敵」?
「私の言うことを聞いてくれる」から「味方」?
「私の言うことを聞かない」から「敵」?
「宗教が一緒」だから「味方」?
「宗教が違う」から「敵」?
・・・・・・・
戦国時代なら、
「戦う相手」が「敵」と見なすことができますし、
裏切れば「味方」から「敵」に変わり、
降伏してくれば「敵」から「味方」にもなります。
現代だと、
「共通の敵」を見つけて「味方」にする
という、心理的誘導のテクニックもあります。
「いじめ」などがそうです。
会社や組織内の権力争いも同様でしょう。
どちらにしても、「敵」「味方」の存在は
自分の損得に絡んでくるということが言えます。
しかし、自分の「敵」か「味方」かは、自分の判断です。
一般的には、
自己中心的に自分の「味方」と自分の「敵」が、
相反する状態であるように、捉えています。
私はこのように考えます。
「味方」は、困った時に助け合う「仲間」であり、
「敵」は、互いの成長を促す「好敵手=ライバル」であると。
極端に言えば、「味方」とも食事するけど、
「敵」とも食事をする関係であるということです。
自分自身の成長のためにも、
「味方」と「敵」は必要不可欠なのです。
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