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しだいにしだいに子どもたちは、
小さな時間貯蓄家といった、顔つきになってきました。
やれと命じられたことを、いやいやながら、
おもしろくもなさそうに、ふくれっつらでやります。
そしてじぶんたちの好きなようにしていいと言われると、
こんどはなにをしたらいいか、ぜんぜんわからないのです。

by. ミヒャエル・エンデ.1929.11.12[児童文学作家]

ミヒャエル・エンデ  
(画像:地球の歩き方より、エンデ作品。※トップ画像:黒姫童話館より)

 

neverending-thumbnail

(映画:ネバーエンディングストーリーより)

 

子供達の夢や希望の道を閉ざしているのは、大人です。

 

大人の理想を(自己中心的に)子供に押しつけ、大人の基準で子供を評価し、

判断能力、思考力を奪うだけではなく、志向力、適応力、問題解決力なども奪い、

しまいには、善悪の分別も出来ず、身体の痛み、心の痛みも分からない

そんな子供にしたのは大人であるということは事実です。

 

子供達が、勝手にそうなったわけではありません。

子供達の夢や希望を失わせるようなことは、あってはならないと思うのです。

 

遊びを決めるのは監督の大人で、
しかもその遊びときたら、なにか役に立つことを、
憶えさせるためのものばかりです。
こうして子供たちは、他のあることを忘れてゆきました。
他のあること、つまりそれは、たのしいと思うこと、
夢中になること、夢見ることです。

 by. ミヒャエル・エンデ

 

 

さらに、

子供に、後輩に、部下に、社員に、嫌われないように嫌われないように、

協調とか共感とか寛容とかキレイなコトバで片付けて、結局

注意すること、忠告すること、助言すること、そんな勇気もなくなったために、

なぁなぁの関係となって、成長しきれていない状態も多々あります。

道徳観も分からず、道徳なんていらない、という意見まである時代です。

この辺りは、人それぞれの価値観の相違もあるでしょうが・・・。

 

 

さて、問題は

夢のない、夢中になるものもない、自由に何をすべきかも分からない、

そんな大人が、今後どうするのか・・・ということです。

 

少々ズレますが、

先日のTV番組で、日本人の「カワイイ」という感覚に

疑問を呈した外国人と大学の教授がいました。

実験で、

女子学生たちに「カワイイ」というコトバを使わないで会話をする、

というものでしたが、結果会話にならず、無言の時間が増えたのです。

 

この実験で分かったのは、「カワイイ」はコミュニケーションの表現であり、

「カワイイ」の変わりのコトバを発せない、ということです。

可愛いものを「カワイイ」ならいいのですが・・・違うのです。

コミュニケーションに使うコトバの簡易性、感情表現の単純化なのです。

 

 

これは、

これから社会を生き抜くために必要なコミュニケーション能力、

表現能力のレベルが低下していることになりますから、

それを、子供からの癖で、とか、親や先生に注意されなかったから、とか

他人の責任、過去の習慣の責任に転嫁してる場合ではないわけです。

 

これを、因果論や目的論の考えにもなってきますが、

どちらにしても、

子供の時からそうだったから、大人になってもそうだ!・・・

というのは通用しない話しであって、同様に、

夢がない、夢中になるものがない、自由を過ごせない、なども

子供の時からそうだ!で解決せずに、大人になっても持てる

夢や夢中になるものや自由があるはずだということです。

 

持てないことを悔やんだり、後悔しないように、

今、持てることを選択し、成長していくことを望んでみたら如何でしょう。

 

希望とは、物事がそうであるから、持つものではなく、
物事がそうであるにもかかわらず、持つ精神なのです。

 by. ミヒャエル・エンデ

 

 

 

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