質の良い人生 と 質の悪い(=後悔する)人生、

どちらを選びますか?

 

それを決定づける行動・・・それが、

選択」と「決断」です。

 

「選択」と「決断」を

一緒のくくりにする場合が多いのですが、

今回は、別々に考えていきたいと思います。

 

選択」と「決断」について、深く考えたことがありますか?

 

選択

 

人は常に「選択」をして生活しています。

意識的、無意識的関係なく、一日何百回、何千回とも言われています。

(誰が数えたのかは知りませんが・・・)

 

朝目覚ましがなると、

「起きようか」「もう少し寝ようか」。・・・

「朝食は何を食べようか」「何を飲もうか?」

「今日は何を着ようか」「靴は何を履こうか」

「何時に家を出ようか」

「何時の電車に乗ろうか」

「今日は何から始めようか」

「お客さんのところに行こうか」
(行くの嫌だなぁ~ とか)

・・・・・

時間がないので、それ以降はカット!(笑)

 

大抵の場合、日々同じことの繰り返し。

マンネリした生活の場合、

日々8割以上が同じことを考えているという学者もいます。

 

面倒くさがりの方は、

朝食も同じ。通勤服も同じ。靴も同じ。

通勤経路も同じ。電車の車両も場所も同じ。

・・・・

 

そう。

習慣化されてしまっている「選択事項」。

その選択が正しいのか、正しくないのか・・・

なんて考えることもなく、人は日々を送り続けます。

 

それが、普通の生活パターンであり、

悪く言えば、マンネリの生活なわけです。

 

「選択」をすれば、必ず何かしらの「結果」が生じます。

マンネリの生活を選択している人は、それに対する結果があるということです。

 

その「結果」が、当然の「結果」を求めやすいのが人の心理です。

それは「確実性の結果」だということ。

 

確実性の結果」と

不確実性の結果」というものがあります。

(不確実性の結果とは、・・・確率が低い結果)

 

人は、「確実性の結果」が好きなのです。

 

だから、

その「結果」は、普段の「選択」の中で

当然起こるべき「結果」でなければならないし、

その起こるべき「確実性の結果」が、何かの要因で「違う結果」になると、

人は「ストレス」を感じたり、不満を言ったり、責任転嫁したりします。

 

経験が豊富な方は、

その要因による「結果」も許容範囲であれば、

それほどストレスを感じず、次の行動を「選択」できます。

 

・・・・

 

何を言いたいのか・・・

 

大抵の人は、

自分の許容範囲の中での「確実性の結果」が好みなので、

その「確実性の結果」が生じる選択をしやすいということです。

 

そして、その「確実性の結果」は、

殆どが目先の単発的(短期的)な結果であり、

持続性がなく、薬物的に継続してその結果を求めなければならない

状況を作り出す、またはその行動の集合体が、

その人の生活であり、人生だということです。

 

これを、「平穏」と捉えるか、「マンネリ」と捉えるか。

 

質の良い人生」を送れるということは、

「質の良い選択」をしているということ

 

その「選択」が、将来「凶の結果」であることさえも、

分からなくなるくらいの状態である可能性も・・・。

 

「最終的には後悔する人生」を送っている

・・・可能性もあるかも・・・

という、「悪い結果」を想像もしたくないので、

無理矢理、思考から外す「今さえ楽しければいい」という選択かも。

(解決になっていませんが。)

 

「誰も結果なんて分からんよ」・・・という声もチラホラ。

 

そうですよね。結果は分からないです。

 

ただ、

その「結果」に対して、自身がどう感じるかなのです。

 

その「結果」に近づけるように、

どう行動(活動)してきたかということですね。

それによって感じ方が違うはずです。

 

その「結果」に対して、

責任転嫁する人は、その「選択」が間違っていると言えます。

これが、「質の悪い人生」です。

 

親のせいとか、会社のせいとか、上司のせいとか、

先輩のせいとか、彼氏・彼女のせいとか、

先生のせいとか、友人のせいとか・・・。

社会のせいとか、経済のせいとか・・・。

 

最近、色々な世情を含め自分なりに視た時、

もし・・・

今日、中国や北朝鮮と戦争が始まったらどうするのか?

今日、大地震が起き、東京が壊滅したらどうするのか?

今日、ネットで貯金が全て盗まれたらどうするのか?

 

・・・そんなことを考えます。

 

この時、他人に責任を押し付けず、

自分が選択した「結果」として、責任を背負って、次の行動に移せるのか。

 

その場面場面での「結果」というのは、

自分が選択した「結果」になるということも踏まえ、

依存された「選択」ではなく、

自立した「選択」をすることができるのかですね。

 

「必死に生きる」

 

というコトバを聞いたことありますか?

 

これを漢字で見ると、「必死=必ず死ぬ」です。

 

「人は必ず死ぬんだから、それを前提として生きなさい!」

ということでしょうか。

 

「必死に生きる」・・・人は、その覚悟で生きているのか。

これは生死ということではなく、活きた人生を歩むか、

死んだような人生を歩むか、と考えてください。

 

自分にとって、

活きた人生を歩むためには、

どんな選択をすればよいのでしょう。

 

 

 

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