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人の生き方を一番よく表すのは、
言葉ではありません。
それは、その人の選択なのです。
わたしたちの選択とは、つまるところ、
わたしたちの責任なのです。
One’s philosophy is not best expressed in words; it is expressed in the choices one makes… and the choices we make are ultimately our responsibility.

by. エレノア・ルーズベルト1884[米大統領夫人]
(画像:Wikipediaより)

 

 

生き方」とは言葉で語ることではなく、行動です。

行動よりも「活動」と言った方がいいでしょう。

 

そもそも、「生き方」とは何なのでしょう?

「生き方」とは

生活する態度・方法。人生に対する態度。

(参考・三省堂 大辞林)

 

では、「生活」とは何なのでしょう?

「生活」とは

生きて活動すること。暮らし。

(参考・三省堂 大辞林)

 

では、「活動」とは何なのでしょう?

「活動」とは

活発に動いたり、働いたりすること。

(参考・三省堂 大辞林)

 

そう。

私も今、「生き方」についての記事を活発に書いています(笑)

 

ここでは、

「生き方」ということを単純に「生きるルール」として進めます。

 

 

「生きるルール」

 

人は、一日の生活の範疇に数多くの「活動」があります。

 

寝ることも、食べることも、歯みがきも、歩くことも、しゃべることも、

聞くことも、見ることも、喜怒哀楽も、恋することも、悩むことも、

考えることも、休むことも、買うことも、売ることも、運転することも、

電話することも、ゲームすることも、掃除することも、キスすることも、

そしてシゴトをすることも・・・・

 

一日の色々な「活動」が集合体となって「生活」となります。

生きている間は、その「生活」が繋がっている状態です。

(実際には、繋がっているように見えるだけです。)

 

毎日、同じような活動も多々あるでしょう。

でも、同じような活動であって、全く同じではありません。

同じようにしているのは、そこに「ルール」があるからです。

 

自分で決めた「ルール」です。

 

幼児からの親のルールをそのまま引き継いでいるものもあります。

子供の時に決めたものもあります。

何かの出来事によって決めたルールもあるはずです。

成人し、社会人になって決めたルールもあります。

家族から離れて一人暮らしを始めた時からのものもあるわけです。

 

例えば、

朝6時に起きる、朝はコーヒーを飲む、食べたら歯を3分磨く、

今日の服は気分で決める、朝7時半に家を出る、このお店でタバコを買う、

電車はコレに乗る、この歌手の音楽を聴く、あの子とチャットをする、

ガムを噛む、同じ道を歩く、会社・学校に着いたら先ずトイレに行く、

会議の時は最低1回は発言をする、恋人に写真を送る、ある人とは口をきかない、

コレを言われたら絶対怒る、タバコを吸う人は嫌う、犬好きの人は好き・・・

 

その「ルール」を無意識の中で実践していることが「習慣」というものです。

また、何かしらの良し悪しを決める判断基準が「価値観」というものです。

 

人は、「生活」の中の「活動」と同じくらい、またはそれ以上の

数多くの「選択」をするという行為を行なっています。

 

学者さんの話しですと、

一日に何百回、何千回とも言われる「選択」行為があるそうです。

意識的にはそのように感じていなくても、

無意識の「選択」を考慮すると、膨大な数の「選択」をしていることになります。

 

人間の脳はラク(楽)をするために、色々なことを簡易化します。

ヒューリスティックなどと呼ばれたりしているものですが、

とにかく「ルール」に基づいて、安易的に「選択」するのです。

 

すると、その安易的な「選択」をする「生活」を日々送っていると、

その人の「生き方」というものが、(客観的に)見え隠れしてきます。

 

言動は勿論、志向、思考、指向、嗜好までもが明らかになってきます。

 

何となく分かって頂けるでしょうか!?

 

そうです。

自分の決めた「ルール」によって「生き方」が決まる

ということです。

 

「ルール」の質が、「生き方」に反映されているということです。

「ルール」の質が悪ければ、「生き方」も質が悪いでしょう。

「ルール」の質が良ければ、「生き方」の質も良いでしょう。

 

「ルール」は、規則・約束です。

極端なことを言えば、法律です。

自分の中で決めた法律が、この「ルール」なのです。

 

問題は、この「ルール」の定め方です。

 

「ルール」を決めるのは自分です。

ということは、ここでも「選択」という行為になるのですが、

その「ルール」を決める人は、「責任」が発生します。

「ルール」だけ決めて、「後は知りません」ということは困るわけです。

特に自分に対して、自分で決める「ルール」なわけですから、

自分に「責任」がある!ということになります。

 

質の良い「ルール」を定めようが、

質の悪い「ルール」に決めようが、

全ては自分の「責任」です。

 

「いやいや、これは誰それが決めたルールだから!」

 

と言う人もいるかもしれませんが、

それを受け入れて自分の「ルール」にしたのは自分です。

受け入れる、いれないという「選択」も自分です。

 

変な話し、やくざの世界にもルールがあります。

「闇の掟」「ダークサイドの道徳」です。

これらを、中国の昔の言葉で「陋規(ろうき)」と言います。

(※「陋規」とは悪い意味ではありません。)

 

江戸時代後期に鼠小僧次郎吉という盗人がいました。

悪人ですが、彼にも3つの「陋規=ルール」があります。

1.中流以上の家を襲うこと

2.放火をしないこと

3.女を犯さぬこと

これを厳重に守ったそうです。(現代の帝王学参照)

 

 

「陋規」とは別に「清規(せいき)」があります。

こちらは、一般的な表世界の道徳観です。

 

動物の世界にも当然ルールがあります。

ただ、人間と動物との根本的な違いは、

尊敬する気持ち」と「恥を知る心」を人間は持っているということ。

これは人の「品性」にもなるのですが、伊藤肇氏は

この2つの1つでも欠けると、人間失格であると言っています。

 

 

結局のところ、

「生き方」を決めているのは自分であり、

その「選択」をしているのも自分であるということです。

ですから、

「責任」は自分であるということを前提として、

これから、どんな「ルール」を決めようか・・・と考えて欲しいのです。

 

では、

質の良い「ルール」とは何なのでしょう?

 

それは、

祖先から伝わる、そして人類共通の「原理原則」をベースとした

「ルール」であることは間違いありません。

 

その「原理原則」を知るための知識を得るために、

私たちは学ぶことを怠ってはいけないということになります。

 

 

 

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