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他人の欠点に
思いやりのある人は幸せです。
それは自分にも欠点のあることに
気づいている人だからです。

by. 飯田深雪.1903.10.9生[料理研究家・アートフラワー創設者]
「百歳 人生の贈りもの」より

(画像:NHK出版より)

 

受容」と「寛容」のある人。

人間力」「人格品格)」には不可欠なものです。

 

受容」とは、受け入れること。

寛容」とは、許し入れること。

と一般的には言われていますが、

そう簡単にはいかないものと感じている人も多いでしょうから、

今回はココにフォーカスしてみようと思います。

 

受容」と「寛容

 

「受容」と「寛容」は、

人の「心のあり方」と「行為」によるものです。

 

そして、その対象となるものは、

「自分(自己)」と「自分以外(他者)」があります。

 

 

『人間関係が希薄している現代』と言われている今に生きる者として、

この「受容」と「寛容」は大きなヒントがあると考えています。

 

特に、ここでフォーカスしたいのは「他者」ではなく「自己」です。

何故なら、「自己」の受容、寛容がなければ、

「他者」への受容、寛容は難しいコトだと感じているからです。

 

飯田氏のコトバにもあるように、

他者に受容的である人は、すでに自己に受容であるからです。

 

 

自己を「受容」できない課題

 

自己、いわゆる自分自身を受け入れているのか、

自分自身を許しているのか・・・

ここに大きな課題があると思われます。

 

jikokeno・自分自身が嫌い

・生まれ変わりたい

・自分を許せない

・自分はダメな人間

・自分は醜い ・・・など

 

自己嫌悪、自信喪失、自己否定、自己卑下、自己憐憫・・・

※自己憐憫とは、自分の価値を低くすること、自分を可哀想と思うこと

 

確かにこれらは自分に対してなのですが、

それは思考によるものです。

自分に対するパラダイム(思い込み・偏見)であると考えることができます。

 

そのようになってしまった原因があるとは思います。

勉強ができない、失敗・ミスが多い、成功したことがない、長く続かない、

外見(身体)的なこと、口(言葉)が悪い、内向的、友達が少ない・・・などの自己評価。

「お前は馬鹿だ」「何やってもダメだな」「しっかりやれよ」

「デブ」「ぶさいく」「気持ち悪い」・・・などの他者評価。

その他、家庭環境や健康状態などもあるでしょう。

 

そのような出来事などが原因となって

現在の自己否定的の状態を作り上げてしまっている思考があるわけです。(因果論)

そのような思考があるために、それに付随する発言や行動があります。

その言動に対して他者がまた評価しますから、・・・悪循環は止まりません。

 

しかし、考えてみると、

自己嫌悪の逆は、自己陶酔です。

自信喪失の逆は、自信過剰です。

自己否定の逆は、自己肯定です。

自己卑下の逆は、自己尊大(他人を見下げること)です。

 

自己憐憫の逆は、・・・※

※自己憐憫はその状況によって微妙の解釈ができますので、

逆といってもいくつかあるのですが、私の考えるところでは、

自画自賛、自己陶酔、自信過剰などもありますし、

場合によっては自虐にもなります。

 

自己陶酔、自信過剰、自己尊大である人が良いのか・・・

と問えば答えは明らかで、良い影響があるとは思えません。

 

自己嫌悪、自信喪失、自己卑下も問題ではありますが、

自己陶酔、自信過剰、自己尊大も問題です。

 

ようは、「丁度いい」がいいのです。

 

自己肯定についても、良いイメージはありますが、

時と場合によるもので、結果的に良い影響にならない場合もあります。

 

例えば、

「自分は出来ない」という思いを、「自分は出来る」と思うことです。

自己啓発セミナーの講師や心理カウンセラーっぽい人にもいるのですが、

「私は出来ない人」と自信喪失に陥っている人に対して、

『大丈夫!あなたはできる!できる能力を持っている!』とか、

『「私はできる!できる!」と常に念じなさい。』とか言われます。

しかし、良くならない場合が結果的に多いようです。

「出来ないこと」を「出来る」と思い込むだけで物事が進むなら、

自信喪失などは皆無になってきます。

「出来る」と思い込んで、結局「出来なかった」ために起こる

落ち込みと不甲斐なさによる自信喪失の悪化へと繋がるのです。

 

仕事上の上司やお客さんに「出来る」と言い切って、

結果的に「出来なかった」ということもあるように、

「自分は出来る」という自己肯定は、思わぬ悲劇を招くこともあるのです。

 

自己肯定する際、

自己肯定感」が大事であるとされています(という一般論)。

 

「自己肯定感」とは、

自分の存在、価値を積極的に認める心(情)のあり方」です。

 

「自分は大切な存在だ」

「自分の存在には意義がある」

などと、ポジティブに考えることを言うのですが、

「自分は大切な存在だ」

「自分の存在には意義がある」

などと、考えている時点で問題(偏り)があります。

場合によっては、自我満足、自己陶酔に陥ることもあるからです。

 

もし

「自己肯定感」の中で大事なものがあるとすれば、

 

今、自分は存在している

 

ということなのです。

「自己否定」しようが、「自己肯定」しようが、

「今、そこに居るのは自分(私)である」を受け入れることです。

自分が、今ココに居ても良い・・・という「あるがまま」の自分を受け入れ、

今の自分が、私である・・・という「ありのまま」の自分を受け入れるのです。

 

そう。

これが、「自己受容」なのです。

 

前記した「丁度いい」というのは、ピッタリという意味ですが、

「自己受容」も「丁度いい」の感覚なのです。

 

 

「自己受容」

 

これは、

「ある(在る)がまま」の自分と「あり(有り)のまま」の自分を

受け入れることです。

 

そこに自分なりの感情や思い込みは抜きにします。

 

例えば、

自分を嫌いになっている原因となる因子、

自信を失くしている原因となる因子、

自分を卑下したい原因となる因子などもそうですし、

自分の好きな部分、自信のあること、自分を褒めたいところなども含めて、

全てを具体的に理解し、承知し、そして受け入れるのです。

 

「出来る」自分も「出来ない」自分も受け入れます。

「美しい」自分も「醜い」自分も受け入れます。

「尊い」自分と「卑しい」自分も受け入れます

 

ですから、

自分の持つものに対して、否定したり、非難したり、卑下したりする

感情や思考は不要になるということです。

 

この「自己受容」は、

アドラー心理学的に言うと、とても重要なことであり、

これが幸せになるための要素であると位置付けています。

 

アドラーは、「自己肯定」と「自己受容」は別物としており、

「自己肯定」より「自己受容」を重んじているのです。

 

そしてこの「自己受容」の中には、

感情や思考などをどのように選ぶかは自分次第であること

も含まれています。

人は感情に左右されるのではなく、感情を左右するのは人であり、

思考に左右されるのではなく、思考を左右するのも人である、

という考え方です。

その選択する決定者は「自分(私)」であるということです。

 

「7つの習慣」で有名なスティーブン・コヴィー氏や

「8つの鍵」で有名なロイス・クルーガー氏も、

この「自己受容」を「自覚」として、重要な要素に取り上げています。

 

 

そして、アドラーは、

何を与えられたかではなく、与えられたものをどう使うかだ。

という「使用の心理学」を強調しています。

 

これは、人そのものに対してであり、

身体、能力、環境などの含め「何を与えられたのか」ということが問題ではなく、

「どう使うか」「どう活かすか」が問題あるとし、

その「使い方」で、幸にも不幸にも成り得るし、

「使う」のはその人、本人であるということです。

 

「自己受容」することで、

他者に対しても、「受容」しやすい自分となることが出来ます。

 

<脱誤苦のひとこと>

気をつけなければならないのが、「ある(在る)がまま」の自分のみを受け入れることです。
「ある(在る)がまま」の自分のみですと、「存在している」だけになります。当初はそれでもいいのですが、「あり(有り)のまま」の自分を受け入れることと、「与えられたものをどう使うか」という意識のもと、行動することが必要です。

 

 

「寛容」

 

寛容」とは、広い心で許し、受け入れること、とします。

 

キリスト教の新約聖書コリント第一13章の有名な

「愛は寛容であり・・・」は、結婚式(教会式)でも聞くコトバです。

 

「受容」と「寛容」の違い(私釈)

 

「受容」と「寛容」の違いを考えてみて、

私の解釈としては、「愛情」や「誠実」などによる

「距離感(または信頼度)」の違いだと感じています。

 

「受容」の時点では、

受け入れたが、まだまだ距離感がある、信頼度がより低い状態です。

「寛容」になると、

そこに許しという感情があるため、

距離感も近いし、信頼度も高い状態なのでしょう。

 

変な例えですが、

男女の恋愛で見ると、結婚相手ではないが、恋人である状態は「受容」で、

結婚を互いに認めた場合「寛容」になります。

 

会社同士の関係で考えると、提携などは「受容」で、吸収合併が「寛容」です。

 

また、

殺人事件が起き、犯人(加害者)がその場で射殺されるような事件があると、

被害者の家族と、加害者の家族の関係が存在するのですが、

加害者の家族の謝罪などを、被害者の家族が素直に受け入れることは「受容」であり、

加害者の葬儀に参列し、その家族と友人関係を築いた被害者の家族は「寛容」です。(実話)

 

そこには、「距離感」(または信頼度)の違いがあると言うことです。

当然、「愛情」や「誠実」というものが存在するのも違うのでしょう。

 

 

自己の「寛容

 

「自己寛容」といってしまうと、医学的・生物学的な専門用語になるので、

敢えて、自己の「寛容」とします。

 

自己の「寛容」とは、

単純に言うと、「自分が好きであること」「自己愛」の存在です。

※「利己愛」ではなく、「自己愛」です。

 

飯田深雪氏と同じ誕生日のジョン・レノンがこのように語っています。

 

僕らは、自分のすばらしさと不完全さのなかで、
何よりも自分自身を愛することから学ばなければいけない。
We need to learn to love ourselves first,
in all our glory and our imperfections.

 

素晴らしい面と、不完全な面の存在を認め、

それでも自分を愛することの必要性を説いています。

 

これが自己の「寛容」に繋がると考えます。

 

当然、そのような「寛容」できる心のあり方を備えることで、

他者に対しても「寛容」になれるのではないかと思うのです。

 

 

受容」と「寛容」は、

「受容力」、「寛容力」として能力の一つでもあります。

 

人間力」「人格品格)」を養うためにも必要な能力です。

「キャリアデザイン」による「生活全体(人生)のあり方」を

自らの意志によってコーディネートしていくためには、

育てるべき能力であることを認識して、

手遅れということもなく、今すぐ自己否定から自己受容を始めてみましょう。

 

他人の欠点に
思いやりのある人は幸せです。
それは自分にも欠点のあることに
気づいている人だからです。

by. 飯田深雪[料理研究家・アートフラワー創設者]
「百歳 人生の贈りもの」より

飯田深雪氏のアートフラワー展(過去)

飯田深雪氏のアートフラワー展(2009年)

 

 

 

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