LinkedIn にシェア
LINEで送る
[`evernote` not found]

 

自分を認めてくれる人がいないことを
気に病むのではなく、
人に認められるだけのことを
するような努力が大切なのです

by. 孔子[思想家・哲学者]

(画像:Wikipediaより)

 

アドラー心理学的の「課題の分離」に該当します。

 

人間には、「承認の欲求」があるとされています。

「他人に認められたい」という欲求のことです。

 

誰かに認められることで、

自分の価値を見出だし、モチベーションがアップし、

多少の困難にも立ち向かえ、

成果の向上にもつながる・・・と

考えられているのは、一般論です。

 

しかし、アドラー心理学では

この「承認の欲求」を否定しています。

 

 

「承認の欲求」の否定

 

例えば、

自分の行動や成果に対して、親や上司が認めてくれたとします。

認めてくれた親や上司は、何を基準に認めたのかというと、

親自身、上司自身のもつ価値観や好みによって・・・です。

つまり、

自分の行動や成果を、親や上司の視点で評価し、

「承認する」という結果になるわけです。

 

別の言い方で言うと、

親や上司の期待に応えることが出来れば、「承認」される

・・・ということになるのです。

逆を返せば、

その期待に応えられない限り、親や上司は「承認」しない

ということです。

 

「承認の欲求」は、他人の基準を前提としているため、

「認められたい」という欲求があるにしても、

その他人の「認める」基準を気にしながら行動することになります。

 

しかし、

どんなに努力しても、成果を上げても、

親や上司が認めてくれないと、どのような感情になるかといえば、

「何で認めてくれないんだ」・・・などの不満へと変わります。

不満のような感情が生じ始めると、

認めてくれない親や上司に対して対抗心を抱き(敵と見なし)、

反発・反抗したり、困らせたり、悪口を言ったりするのです。

 

私が考えるに、「承認の欲求」はある意味、

自分の味方・敵を分けるための欲求ではないでしょうか。

また、

「承認の欲求」(誰かに認められたいという強い気持ち)を強調することは、

他人の基準を中心として生活をしていく、

ということに他ならないと思われます。

 

 

アドラー心理学が「承認の欲求」を否定する理由は、

前記した「課題の分離」という考え方があるからです。

 

「認めて欲しい」と自分が願っても、

認めるかどうかは他人の課題(意識や考え)であって、

どうすることもできない・・・という考えです。

それを気に過ぎるのは自分にとって良くないこと・・・

としているわけです。

 

他人の承認を(自分が)期待すること、

他人の期待に(自分が)応えようとすること、

そもそも他人の承認を得たいがために行動することは

他人を中心とした生活になるということを理解する必要があります。

 

では、どうすれば良いのでしょうか?

 

アドラー心理学では、

自分の課題に他人を介入させないこと、他人の課題に介入しないこと

としており、「それは誰の課題なのか?」・・・いわゆる

「課題の分離」を普段から行なう必要があるとしています。

 

ただ、実際の話しとして、

会社勤めの人に関して、上司・人事の評価などが給与や昇格に影響を及ぼします。

そこにはどうしても「他人の承認(評価)」を得なければならない・・・

という環境があるのも事実です。

 

その評価システムが確立されている会社であればいいのですが、

中小企業ですと、

社長や上司の個人的な感情も含めた評価になることは否定できません。

 

そういった意味では、

「承認の欲求」(=他人の基準を中心とした自分への高評価を期待すること)

というものがなければ、昇給も昇格もあり得ない・・・と

考えるのが一般論かもしれません。

 

ここをどのように考えるのか・・・という点で、

今回の孔子のコトバにある

認められるだけのことをするような努力

がポイントになります。

 

この努力は、親や上司などの狭い対象に対してではなく、

誰かに認めてもらうために努力することでもなく、

「人として磨くことを努力する」ことであって、

それを認めるかどうかは他人の課題であると考えましょう。

おおざっぱに言えば、

他人が自分のことをどう評価するかは他人の勝手であって、

自分の課題に真剣に取り組もう、ということですね。

 

そのヒントになるのが、

「生活の中心」に置くものは何なのか?

ということです。

 

これが鍵となります。

 

 

「生活の中心」

 

人の持っているパラダイムによって

普段の生活を送っているわけですが、

その中心となるものが・・・

例えば、

家族 中心だったり、

夫や妻 中心だったり、

お金 中心だったり、

仕事 中心だったり、

所有物 中心だったり、

遊び 中心だったり、

友達 中心だったり、

敵 中心だったり、

自己 中心だったり・・・

 

すると、

それを意識(気に)しながら、

それにフォーカスしながら、

様子をうかがいながら、

生活を送ることになります。

 

中心とするものに対して、

エネルギーを費やすことになり、

場合によってはストレスになったり、

被害妄想になったりするのです。

 

 

生活の中心とするものは、

本来「原理原則」であると、

コヴィー氏は強調します。

 

原理原則を中心にすることで、

「誰かに認めてくれない」という思考はなく、

常に自分に向き合うことのできる

そんな人生を送ることができるのです。

 

 

ご購読頂き、ありがとうございます。

 

 

先頭へもどる

 

careerdesgine ご意見、ご質問などございましたら、お気軽にお問い合わせください。

お問い合わせフォーム

自己価値を向上させる「価値矯正プログラム」にてサポートしております