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百俵の米も、
食えばたちまちなくなるが、
教育にあてれば明日の一万、
百万俵となる。
by.小林虎三郎.1828.9.26生
[越後国長岡藩士]
(画像:Wikipediaより)

米百俵の精神」で有名な逸話(Wikipedia抜粋)

1868年北越戦争で破れた長岡藩は財政が窮乏。長岡藩の支藩であった三根山藩が窮状を察し、米百俵を寄贈したが、分配されることを望む藩士らに向けて小林虎三郎は、「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ」と教育第一主義を唱え、その米百俵の売却益を元手に、学校に必要な書籍、器具の購入にあて、1870年7月13日に国漢学校の新校舎が坂之上町に開校した。

 

 

この「米百俵」の話しには、

2つの意味が込められていると思います。

(と私の勝手な解釈ですが)

ついでに、この逸話は美談になっているようですが、美談かどうかは個々人の解釈でありますので、興味ある方は調べてみて下さい。

 

この話しは社会的な行為ですが、

この「米百俵の精神」を個人に対して考えてみたいと思います。

 

2つの意味とは、

1つは、教育(修学)による成長・創造を重視するということ。

そしてもう1つは、

確実性と不確実性の意思決定の価値観についてです。

 

ようは、

目先の小さい得(利得)に飛びつくより、

将来の大きな得(利得)を創造することです。

 

教育による成長・創造

 

例えば、

超貧困国・民族の戦争は未だに続いています。

子供達も兵士として戦っている地域もあります。

 

解決方法としての選択がないからです。

そのために子供達に教育を・・・ということで

ユネスコなどが学校を作ったりしています。

 

戦争以外の解決方法を

教育で見出だそうということもあるからです。

 

このような激しい戦争でなくても、

日本でも色々な戦いが日々行なわれています。

 

上司部下の戦い、同僚との戦い、会社同士の戦い、

夫婦の戦い、親子兄弟の戦い、友人・知人との戦い・・・

そして自分の中での戦い(葛藤など)があります。

 

その解決方法が、

怒りなどの感情を剥き出しにすることや

相手から言われることをひたすら行なうことや

いじめること、いじめられることや

裁判や金で解決するなど・・・こんな方法しかないのです。

 

もし、

学ぶことでもっと最善・最良の解決方法を知ることができれば

それは今後も活かすことができるわけです。

 

課題や問題の解決は、常に自分で行なうことであるとするなら、

その選択の余地が前記した依存的手段のみの場合、

快適に解決するとは思えないのです。

 

だから解決することからも逃げ回り、先延ばしにし、

人生をダラダラと過ごしている人も多々いるわけです。

 

その解決するためには、知識・見識が必要であるということです。

 

 

確実性と不確実性の意思決定

 

人間のニーズ(欲求)には、

確実性欲求」と「不確実性欲求」の両方を持っています。

 

どちらを主として考えるかということです。

 

結論から言うと、

「確実性欲求」を主体とする人は成長に乏しいということ。

「不確実性欲求」を主体とする人は成長しやすいということです。

 

前者が悪いということではなく、大半の人が前者だと考えます。

それはプロスペクト理論など色々な実験などでも分かるように、

人間はリスクの少ない、確実に得られるものを選択しやすいのです。

 

「確実性欲求」とは、結果が確実に得られると判断できるものです。

 

例えば、今回の「米百俵」の逸話ですと、

困窮している民衆は食べ物が欲しいわけです。

これは、

食べることで目先の満足感(利得)を得ることができる、

ということを経験上知っているために

今の問題をすぐに解決するために、今は食べ物を欲しがるのです。

これが「確実性欲求」です。

 

「米百俵」をお金に変え、教育環境を整えて、

将来の大きな満足感(利得)を得られるだろう、というのが

「不確実性欲求」なのです。

 

これは、必要性は感じていても現時点で理想であり希望的観測であり、

また教育環境を整えることで確実に利益を得られるかどうかは

その将来を迎えてみないと分からないわけですし、

その時を迎えた時に自分にとって利得があるかどうかも分からない

確実性が低いことでありながらも、信念や価値観、目的などをもとに

目先の得られる「確実性欲求」での利得よりも、

さらに大きな利得を得られる「不確実性」を選んだのが

この「米百俵」の逸話です。

 

ただ、この時代に議会制や多数決という方法で結論を出そうとしたなら・・・

多分「確実性欲求」を選択したと思うのですが・・・どうでしょう?

 

今の日本・世界の抱える課題、借金や公害(温暖化など)は、

「不確実性」より「確実性」を主に選択した結果であると思います。

 

個人において、

「確実性」を重んじる人とは・・・

例えば、

同じお店で食事をしたり、同じメニューを頼んだり、

面白かった映画やドラマを何度も観たり、

一つのブランドに拘ったり・・・などです。

同じシゴトをする、同じ手法で行なうことも実はそうです。

確実に自分の満足感や充足感、幸福感を得られるからです。

 

「不確実性」を重んじる人は・・・

知らないお店を回ったり、怪しいメニューを頼んだり、

映画やドラマなどは公開時しか観なかったり、

ブランドに拘らず組み合わせたり・・・などで、

シゴトも計画的に転職したり、戦略などを企画したり、

色々な発想をしつつ進めていきます。

 

リスクがあっても挑戦し続けるタイプです。

そしてリスクが大きければ大きいほど、

達成した時の満足感や幸福感が予想もつかないほど

大きいことを知ってるので、

それを味わいたいと感じるタイプです。

ある意味、ギャンブラーですね。

 

しかし、

成長の度合いは全く違うことが分かると思います。

 

「確実性」と「不確実性」の選択はその場面場面で違うでしょうが、

意思決定するのは自らであって、

その意思決定するための分析力、決断力、行動力は

成長する上ではとても重要です。

 

分析力や決断力、行動力は

知識、知恵を備えることで強化されます。

 

今回の「米百俵」の精神とは、

忍耐力を促すというより

「学習能力の大切さ」と「意思決定する能力の必要性」を

伝えているのではないかと、私は考えており、

そのためにも成長するためのプロセスが必要だと感じるのです。

 

 

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