地球上で一番大切なのは、
お互いにその立場を認め合い、
お互いがお互いをゆるす
寛容の心がなければならない。
by.横井小楠.1809.9.22生
[熊本藩士、維新十傑の一人、儒学者]
(画像:Wikipediaより)

 

寛容」の心を持ち合わせていますか?

 

相手の立場を認めず、許すことができないために、

今も尚、世界には戦争があり、武力行使的抑制があり、

個人間においては、

いじめがあり、絶交があり、悪口・陰口があり、騙しがあり、

パワハラがあり、DVがあり、虐待があり、時には報復があり、

時には犯罪行為へと行動を移します。

 

子供の時から、

「許し合う」「認め合う」「理解し合う」ことを大人から言われながら、

大人になれば、それが難しい状態になるのも事実のように感じます。

 

 

寛容とは

 

寛容」とは何なのでしょう?

なぜ「寛容」になれないのでしょう?

 

先ず、「寛容」とは、辞書で牽引すると、

心が広くて、よく人の言動を受け入れること。

他の罪や欠点などをきびしく責めないこと。また、そのさま。

出典:デジタル大辞泉

 

Wikipediaでは、

自分と異なる意見・宗教を持っていたり、

異なる民族の人々に対して一定の理解を示し、許容する態度である。

出典:Wikipedia

 

単純に、「耐える」「我慢する」という解釈もあったようですが、

今日本にある「寛容」は、「許す」「受け入れる」の解釈が強いように感じます。

 

「寛容」は、宗教的・思想的な様相が強くて、

宗教・宗派間のトラブルに対する場面を想定した解釈が多いのも事実です。

 

例えば、

フランス哲学者ヴォルテール(フランソワ=マリー・アルエ)の寛容論は、

寛容とは何であるか。

それは人類の持ち分である。

われわれはすべて弱さと過ちからつくりあげられているのだ。

われわれの愚行をたがいに許しあおう、これが自然の第一の掟である。

…(中略)…

われわれがたがいに赦しあるべきことのほうがいっそう明らかである。

なぜならば、われわれはみな脆弱で無定見であり、

不安定と誤謬に陥りやすいからである。

抜粋:ヴォルテール『哲学辞典』

 

「寛容」の前提として、

人間は間違いもあるし、誤りもある不完全な存在であることがあります。

 

それに対して、個人の価値観や許容範囲というものがあり、

許せることと許せないものがあったりするわけです。

 

「心の広い人」というのは、

その許容範囲が広い人であって、

その許容範囲というのは見識で広がるものと考えます。

 

それは、人間とは?から始まることでしょうが、

自分とは?相手とは?というところを考えると、

「自然の中では平等である」と言われているように、

それほど変わりない存在(相手)をどう受け止めるかになってくるのでしょう。

 

 

「寛容」ある者とは、

自分と他人の違いを「認める」よりも、

自分と他人の同じ所を見つけ「共感する」ことができる

そんな人なのかもしれません。

 

 

 

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