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俺たちは自分自身を見つめると、
苦痛を感じる。
だけど苦痛も人生の一部だ。
苦痛を通して人は成長するものなんだ。
(画像:Wikipediaより)

 

仏教(またはブッダ)的に言うと、

」という概念でしょう。

 

「苦」とは、

(簡単なことではないのですが)簡単に言うと、

思い通りにならない苦しみや

何かを追い求め続ける悩み・・・です。

 

理想と現実のギャップ、

精神と肉体のギャップ、

自分と他人の比較などから生じます。

 

「渇愛」(満たされていない心、求める欲望)の

状態とも言われています。

渇愛は苦の根源とされていて、

「渇愛」が無くなれば、「苦」は無くなるというのが、

仏教内での教えになります。

 

この「苦」を感じない人は、

覚(さと)りを得ているか、

自分から逃げていると考えられます。

 

」は生きている以上、存在するものです。

 

本当の意味で、その「苦」から解放されたいなら、

ブッダの教えを真剣に学び、実践することなのでしょうが、

皆がそうするとは思えません。

(なぜ学校で教えないのかも疑問です 笑)

 

ですから、

その「」のある自分を受止め、

その「」を分析し、それを一つ一つ解決することが

成長に繋がるのではないかと思うのです。

 

 

「苦」と「目標」

 

前記したように、

「苦」とは「渇愛」から生じており、

そこに満たされない心、求める欲望があるわけです。

 

私たちが生きている以上、覚りの境地に至らない限り、

満たされない心、求める欲望があるわけです。

 

心を満たすもの、求める先のもの・・・

これが「目標」となる場合、それは「苦」ではなく、

適度なストレス」の状態になるのでは考えます。

 

その「目標」が他人から与えられ、

とてつもない(達成しづらい)目標であれば、

「苦」になると思いますが、

自らが設定する「目標」であれば少々高めでも、

目的、情熱、やる気などによって乗り越えるための

行動をすることになりますので、

その継続性は、十分自分の成長に繋がるわけです。

 

極端なことを言うと、

この「苦」の根源である「渇愛」の内容を理解し、

その対応を行なうことは、

「生きる」 に直結するのではとも思うのです。

 

その生きる「あり方」を決めるのは、

結局自分なんですけどね。

 

覚りを得ない限り、「苦」の人生であることから

逃げられないのであれば、

ただただ「苦」を「適度なストレス」程度に転換できる

一つの道筋を自分で見つけたらいいのではいでしょうか。

 

 

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